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東京高等裁判所 平成2年(ネ)1249号 判決

控訴人

山田昭

右訴訟代理人弁護士

村井正義

被控訴人

社団法人総友会

右代表者理事

有田英世

右訴訟代理人弁護士

高井伸夫

高下謹壱

山崎隆

内田哲也

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求める裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  控訴人と被控訴人との間に雇用契約関係が存在することを確認する。

3  被控訴人は、控訴人に対し、金五三二一万二五四五円及び内金二九〇万六〇〇五円に対する昭和五八年五月一日から支払済みまで、内金六二四万九八二八円に対する昭和五九年五月一日から支払済みまで、内金六六八万三七七九円に対する昭和六〇年五月一日から支払済みまで、内金六九四万六九三三円に対する昭和六一年五月一日から支払済みまで、内金七二六万一〇一一円に対する昭和六二年五月一日から支払済みまで、内金七六九万四三六五円に対する昭和六三年五月一日から支払済みまで、内金八二二万八八〇六円に対する平成元年五月一日から支払済みまで、内金七二四万一八一八円に対する平成二年二月一日から支払済みまで各年五分の割合による金員を支払え。

4  被控訴人は、控訴人に対し、平成二年二月一日以降、毎月二五日限り、各四七万九五八八円を支払え。

5  訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

6  仮執行の宣言

二  被控訴人

主文第一項同旨

第二事案の概要

本件は、被控訴人から懲戒解雇の意思表示を受けた控訴人が、右懲戒解雇を無効であると主張して、雇用契約関係の存在確認を求めるとともに、雇用契約に基づいて、原判決別表(1)ないし(8)記載の平成二年一月三一日までの給料差引支給額合計三五八〇万一〇八五円、同別表(9)記載の賞与手取額合計一二七九万五七七七円、同別表(10)記載の財形給付金及び奨励支給金差引手取額合計四六一万五六八三円(いずれも、右懲戒解雇に付された後の期間については他の従業員と同様に昇給したものとして算定)以上合計五三二一万二五四五円とその遅延損害金並びに平成二年二月一日以降の毎月の賃金の支払いを求めるものである。

一  争いのない事実

1  被控訴人は、わが国企業における総務部門のあり方とその向上発展のために寄与し、地域社会の向上発展に貢献することを目的とした社団法人であり、総務、人事、労務に関する研究連携機関として、研究会等の会合の開催、各種調査活動、資料の出版編集、資料・規定類の収集依頼と相談業務を行っている。

控訴人は、昭和三六年七月六日被控訴人の前身である日本内部監査協会に雇用され、昭和四〇年一〇月被控訴人が右協会から分離独立した際被控訴人に移籍し、昭和四一年一月から業務部長、昭和四九年四月からは事務局次長の地位にあった。

2  被控訴人は、専務理事森本武文(以下「森本」という。)名義で、昭和五七年一〇月七日、控訴人に対し、就業規則五〇条一項四号により懲戒解雇に付する旨の意思表示をし(以下「本件懲戒解雇」という。)、以後控訴人との雇用関係の存在を争っている。

3  なお、被控訴人の就業規則では、懲戒に関し、次のとおり定めている。

第一一章懲戒

第四九条(懲戒)

局員の懲戒は本章の定めによって行なう。

第五〇条(懲戒の種類)

1  懲戒は次の四種とする。

(1) けん責

(2) 減給

(3) 出勤停止

(4) 懲戒解雇

2  (省略)

3  懲戒の軽重は第一項の順序とする。

第五一条(懲戒理由)

局員が第三条に定める服務規律の完全な履行を怠り、次の各号のいずれかにあたる行為を行った時は懲戒に処する。

1  故意または過失により業務上重大な失態があったとき

2  会の業務を進んで阻害するような意図のあることが事実によって明らかになったとき

3  正当な理由がなく、就業を拒否したとき

4  正当な理由がなく、しばしば遅刻、早引または私用外出をしたとき

5  無届欠勤が一四日以上になったとき、または出勤が著しく正常でないとき

6  著しく自分の職責を怠り、確実に勤務しないとき

7  職務上の指示に従わないとき

8  著しく自分の権限を超えて独断の行為があり、失態を招いたとき

9  採用のとき虚偽の陳述を行ない、または虚偽の履歴書、戸籍謄本、身元証明書などを使用したとき

10  許可なく他会社その他に勤務したとき

11  会の秩序をみだすおそれのある流言ひ語を行なったとき

12  みだりに会の職制を中傷またはひぼおし、あるいは職制に対し反抗したとき

13  懲戒に処せられたにもかかわらず始末書を提出しないなど、懲戒に従う意思が全く認められないとき

14  刑罰に触れる行為をしたとき

第五二条(損害賠償責任)

(省略)

第五三条(懲戒の決定)

懲戒の決定は専務理事がこれを行なうものとする。ただし、局員が不当な処分を受けたと信ずるときは、専務理事に対して適当な措置が行なわれることを要求することができる。この場合、専務理事は事情を調査のうえ再審議し、かつ、その結果につき理由を説明しなければならない。

4 控訴人は、被控訴人の専務理事森本に対して、昭和五七年一〇月一二日、本件解雇を不当なものであるとして適切な措置を要求したところ、同専務理事は、同日、「再審議結果の回答について」と題する書面で「一〇月一二日付で貴殿より要求のあった当会、就業規則第五三条に基づく再審議を即日行った結果、同規則第五一条による懲戒解雇処分(昭和五七年一〇月八日付)は適法かつ妥当な処分であることを再確認しました」と回答した。

5 被控訴人は、控訴人に対し、昭和五七年一〇月二五日、本件解雇を理由に、同月分の賃金三一万五二五六円のうち金七万〇一二九円を支払っただけで、差額分二四万五〇六四円及びその後の賃金の支払いをしない。

なお、控訴人の給与は、毎月一日から同月末日までの分を当月二五日に支払う定めであった。

二  争点

1  控訴人に懲戒解雇理由があるか。

(被控訴人の主張の要旨)

控訴人は、次のとおり被控訴人事務局職員としてふさわしくない言動を繰り返しており、右言動は就業規則五〇条一項四号、五一条一ないし八号、一一ないし一三号の各号に該当し、控訴人が在職していては、職員五名という小規模の職場である被控訴人事務局の秩序が維持できなくなり、被控訴人の業務に重大な支障が生ずる。

(一) 譴責処分

控訴人は、昭和五六年七月一〇日、被控訴人理事会副会長大塚直治の送別会の席上で、被控訴人監事武田大(以下「武田」という。)に対し、森本を事務局長にしたことについて非難し、暴言を吐き、また、二次会でも被控訴人理事池田哲二を名指しで誹謗するという醜態を演じたため、同年一二月一〇日、被控訴人会長の三善信一(以下「三善」という。)から口頭で厳重注意を受けた。控訴人は、その際今後は上司と協力して行くことを誓ったにもかかわらず、その後これを翻し、右注意は不当であり今後上司に協力しないと公言したので、被控訴人は、昭和五七年一月一日付をもって控訴人を譴責処分に付した。

(二) 組織の紊乱と中傷

控訴人は、右譴責処分につき、会長は専務理事の一方的意見をもって判断し処分したと被控訴人の三善会長を批判し、理由がないのに不当な譴責処分を受けた、断固戦いたいので支援してほしい旨機会あるごとに有力会員に訴えかけ、森本専務理事及び田中事務局長に対し激しい中傷をして、被控訴人の組織を紊乱した。

また、専務理事名で作成する外部講師依頼状などを勝手に会長名義にしたりした。

(三) 経理上の不正、疑惑行為

控訴人は、昭和四四年一二月から昭和五五年七月まで一一年間も母親の扶養手当二六万七〇〇〇円を不正に取得していたが、右譴責処分後も講師との飲食代の不正請求、封筒書き代の水増し請求、出張時の交通費、たばこ代の水増し請求を行うなどの経理上の不正行為があった。

(四) 職員全員からの信用失墜

控訴人は、事務局次長として部下の範となる地位にあることが期待されながら、被控訴人事務局の職員の面前での態度言動を上司の在室の有無によって一変させ、上司の中傷等を公然と行うことを繰り返し、職員全員の信頼を失っていた。

(五) 被控訴人の対外的名誉、信用の失墜

控訴人は、講師から入手した会員会社に関する機密情報を利用して、一部会員に飲食をねだったり、自ら誘いながら飲食の請求書を会員に送りつけるなどの行為を続け、相手方である会員に不快感、嫌悪感を抱かせ、被控訴人事務局に苦情が寄せられることとなった。

(六) 業務に対する非協力

非控訴人事務局の業務のうちには案内状を一回に三〇〇〇通ないし五〇〇〇通発送することがあり、その際には職員全員が協力して行うことになっていたが、控訴人は、偽りの理由を作っては休暇を取ったり、外出したりして、これに協力しなかった。

(控訴人の主張の要旨)

本件は、昭和四九年三月の被控訴人の前専務理事今井恒和(以下「今井」という。)の死亡に伴う同年四月の後任人事として森本が事務局長に就任するに当たり、控訴人が森本の事務処理能力、人事管理能力、財政処理能力、対外折衝能力等について疑問を抱き、専ら被控訴人の将来を慮って右選任に批判的見解を述べたことに端を発している。控訴人は、森本の事務局長就任決定後は同人に協力し、その二年後には村上会長に森本武文を専務理事に推挙するよう進言し、同人は専務理事に就任した。ところがその後、一部の会員から控訴人に対し森本に対する批判が寄せられるようになったこともあって、昭和五六年七月一〇日に開催された被控訴人理事会副会長の大塚直治の送別会において、控訴人が武田に対し被控訴人の将来を慮って森本の専務理事としての職務遂行能力に批判的見解を述べたところ、これに憤慨した武田が一方的に控訴人に暴力を振るい、控訴人と武田との間でいざこざが生じた。ところが、昭和四九年三月の事務局長就任に当たり控訴人がこれに反対したことに恨みを抱いていた森本は、これを聞き、こともあろうに、控訴人が武田に対し暴力を振るい、同人に大声で暴言を吐き、送別会をめちゃめちゃにしたなどと事実を歪曲して当時の三善会長に報告したため、三善会長は武田とのいざこざについて控訴人に注意した。ところが、その後、森本は、忘年会の際控訴人が三善会長からの注意に対し「自分は処分を受ける理由はないもので、一生忘れることはできない。これからは上司に協力しない。会をぶっ潰してやる。」と公言したなどとまたもや事実を捏造し、これを三善会長に報告したため、三善会長は、控訴人に弁明の機会を与えることなく控訴人を譴責処分にした。その後、控訴人は、森本の企画立案、人事管理、財政処分等についての改善や就業規則、給与規定の遵守等を進言したり、また、被控訴人の総会研究会では従来その会員募集の対象者は正会員に限るとの基本方針が確立しており、主査会でも右方針が確認されているにもかかわらず、森本に主査会にはかることなくかつ部会主査の意向に反し、独断で正会員以外の者をも総会研究会の会員とするなど著しい越権行為があったため、控訴人は、主査会とともに強くこれに反対した。これに対し、森本は、控訴人の進言や反対をことごとく退けたばかりでなく、控訴人に対しいわれのない敵意を抱き、遂に控訴人に対する本件懲戒解雇を強行するにいたったものであり、本件懲戒解雇は、懲戒解雇理由がないのに森本によってされた恣意的な処分であって、無効である。

2  本件懲戒解雇は、就業規則所定の懲戒理由に該当する事実を告知しないままされたもので無効か。

3  本件懲戒解雇は、被控訴人の就業規則五三条前段による措置要求に対し、同条ただし書所定の「事情を調査」すること及び「再審議」をすることをせず、また、「その結果につき理由を説明」しなかったもので、同条に違反し無効か。

第三争点に対する判断

一  争点1について

1  まず、次の事実を認めることができる(認定に供した証拠は、( )内に示す。なお、次の認定に反する〈証拠・人証略〉及び当審における控訴人本人の各部分は右認定に供した証拠と比較して信用することができない。)

(一) 被控訴人の専務理事であり、事務局長を兼ねていた今井は昭和四九年三月二八日肺癌で死亡したが、その約一か月前の同年二月半ばころ入院先の病院に被控訴人の監事の武田を呼び、後任の事務局長として控訴人の後輩に当たる企画部長の森本を推薦する意向であり、これを被控訴人の会長である村上会長に伝えるよう依頼したので、武田は今井の意向を村上会長に伝えた。村上会長は理事数名と相談の上、同年四月一〇日、監事の武田及び池田哲二を伴い被控訴人の事務局に来所し、職員全員の前で森本を被控訴人の事務局長兼専務理事事務取扱に指名する旨告げた。控訴人は、今井の後継者であると自負し、今井の死後は当然自分が事務局長になると考えていたので、右内示の際、村上会長に対し、森本はリーダーシップに欠ける、責任者としての能力もない、森本事務局長には自分は承服しかねる旨発言して、森本が事務局長に指名されることに不満の態度を示した。また、控訴人は、右内示のあった日の翌日から無断欠勤し(少なくとも二日間は無断欠勤したことが明らかである。)、その間村上会長を訪ね自分にも何らかの肩書が欲しい旨要求し、また武田監事を訪ねて事務局次長にしてもらえれば森本に協力してもよいと会長に伝えてほしい旨を述べたりした。そこで、村上会長は、被控訴人事務局の以後の運営が円滑に行われるようにとの配慮から、同月中に被控訴人を事務局次長に昇任させた(〈証拠・人証略〉)。

(二) 控訴人は、森本が事務局長に就任した後、職員の田中誠(以下「田中」という。)に対し、「三年様子を見よう。お手並みを拝見しよう。」と述べたり、昭和五三年ないし同五五年ころ、被控訴人の組織の一つである人事懇話会の活性化を図るため、田中の発案した新しい企画として賃金体系等に関する特別定例部会が開催され、大勢の参加があった結果、人事懇話会の収入に大きく貢献したところ、田中に対して、なぜ余計なことをするのかと発言したりした(〈人証略〉)。

(三) 昭和四七年ころ、被控訴人の人事懇話会で見学研修に行った帰りなどに、飲食店で控訴人と田中が食事をしたところ、控訴人は当時後輩であった田中に右飲食代金を講師との打ち合わせ名目で被控訴人に請求する手続を取らせたことが二、三度あった(〈人証略〉)。

また、控訴人は、昭和四四年から、自己が全く扶養していない母親について扶養している旨申告し扶養手当を受給していたが、昭和五五年になり被控訴人が調査のうえその事実を指摘したところ、扶養している兄が嘘をついていると言い張り、結局不正に受給していた手当を返還することもなかった(〈証拠・人証略〉)。

控訴人は、昭和五五年四月一九日、七月二六日、一一月二三日、昭和五六年四月二五日、それぞれ熱海で開催された経営懇話会の帰途、小田原から小田急線で帰宅したにもかかわらず、熱海東京間の新幹線代を請求しこれを受領したことがあった(〈証拠・人証略〉)。

(四) 控訴人は、今井がゴルフや宴会のあった翌日は遅く来ることを知っていて、今井に分からないように自分も遅刻し、宴会のあった翌日は、会員会社に立ち寄ってから出勤する旨当日の朝に電話で連絡して昼ころ出勤するということが多く、その中には会員会社に立ち寄っていないときもあった。そのため、森本は、会員会社に直行するときは前日に連絡すること、そうでないときはその前に必ず被控訴人事務所に集まることを職場の申し合わせ事項とした(〈証拠・人証略〉)。

被控訴人は、昭和五一年四月一日、就業規則を改定し、従前の規定が「正当な理由なしにみだりに欠勤または遅刻したとき」とされていたところ、遅刻を三回した場合欠勤一日とするとし、また、専務理事の職務権限を成文化したが、控訴人の勤務状況がルーズであったこと、控訴人がしばしば専務理事事務取扱の森本の行為を越権だといい続けていたことも右改定の一因であった(〈人証略〉)。

(五) 昭和五六年一月二〇日付けで、田中は、事務局次長に昇任し、控訴人と並ぶこととなった(〈人証略〉)。

昭和五六年七月一〇日、新宿の「光林坊」において、武田、控訴人など七名が出席して、被控訴人理事会副会長の大塚直治大林組専務取締役の送別会が開催された。その宴席で、控訴人は武田に対し、(七年前に)森本が事務局長になったことについて、武田が今井の遺言をどのようにでも会長に伝えられたであろうにとか、このことは一生忘れられないとか恨みごとをくどくどと繰り返し述べたため、武田から隣室に連れて行かれ、宴席にふさわしくないことを話さないよう叱責されたが、控訴人は、この席で皆にも聞いてほしいなどと大声で述べたりした。また、同日池田哲二理事が控訴人のため設けた二次会の席において、控訴人に対し右送別会での態度を注意したところ、店の者に対し、同理事について、役員にはなれない人だと悪口を述べたりした(〈人証略〉)。

同年一二月一〇日、三善会長から、控訴人に対し、右送別会の日の控訴人の言動に対し注意があり、その後、被控訴人事務局職員一同の前で「本来ならば辞めてもらうところであるが、今回は本人が反省しているので取り止める。今度同様の言動に及んだときは辞めてもらう。」といわれ、後輩の田中を事務局長にする旨告げられた。これに対し、控訴人は、気持を入れ替え生まれ変わった気持ちになって業務に邁進することを誓約した(〈証拠・人証略〉)。

ところが、同年一二月二八日、浜名湖の館山寺において開かれた被控訴人の忘年会において、控訴人は、「会長にいわれのない注意を受けた。この恨みは必ず返してやる。今後は会の運営に対して協力しない。徹底的に挑戦する。」と述べ、また同旨の言動を被控訴人の会員らに吹聴し、会員らの被控訴人への信頼を失わせた(〈人証略〉)。

昭和五七年一月、田中が事務局長に昇格し、控訴人は、同月一八日、前記送別会での件等を理由に、文書で譴責処分を受けた。しかし、その後も、控訴人は、三善会長について、「独断専行である。他の理事の意見を聞かない。森本専務理事のいいなりである。」とかの批判を繰り返していた。更に、控訴人は、懇談会の席上などで繰り返し森本を無能であるといって回るようになり、会員の事務局に対する不信感を強めた(〈人証略〉)。

(六) 控訴人は、右譴責処分後口をきかなくなり、無断で外出するといった行動が一層増した(〈人証略〉)。

また、控訴人は、昭和五七年二月からは、研修の段取り、講師の選定等について、専務理事の森本、事務局長の田中、事務局次長の控訴人の事務局の役職者三者で協議決定したことについて、自分は聞いていないとか、自分はそういうつもりで言ったのではないとか、前言を翻したり、反対のための反対をすることが多くなり、昭和五七年度の事業計画案の策定においても同様の態度を取り続けた。そのため、森本は、同年四月からは、重要案件の協議には控訴人を参加させないようにせざるをえなくなった(〈人証略〉)。

被控訴人の事務局においては従前から外部講師の依頼状は専務理事名で発送するのが習わしであったが、森本が事務局長に就任後、控訴人はあえてこれを被控訴人会長名で発送するということをし、会員からの注意もあって、統一をとるうえで専務理事名で発送するよう注意を受けても、これを無視し続けていた。また、控訴人は、昭和五七年五月二七日に開催された総会研究会の懇親会において、事務局職員の市村陽次郎に対し、「何をやっているんだ。森本の言うことばかり聞くんじゃない。」と怒鳴ったりするなど、森本専務理事を批判する言動を繰り返していた(〈証拠・人証略〉)。

控訴人は、昭和五七年春ころ、被控訴人の会員会社に夕刻になって情報を届けることを口実として立ち寄り面会を求め、相手方に夕食を誘わざるをえない状況にしたり、行きつけの店を二次会として案内し、その伝票を会員会社に回して相手を憤慨させたりしたことがあった。また、控訴人は、昭和五七年夏ころ、被控訴人が講演等を依頼している古谷多津夫と新橋の飲食店で食事を共にした際、古谷が自分で食事代金を支払ったのに、一旦連れ立って食堂を出てから一人で戻って領収書を受領し、被控訴人にその費用を自己が負担したものとして請求したりしていた(〈証拠・人証略〉)。

また、被控訴人の重要な事務の一つに会員又はその他に案内状を送付することがあり、その作業量は一回当たり三〇〇〇通ないし四〇〇〇通に及ぶため、事務局職員全員が協力してこれに従事することになっていたところ、控訴人は従前から右作業を嫌い、その時は会員会社に出かけて右作業に従事しないということが多く、その非協力ぶりは職員一同の顰蹙をかっていたが、控訴人は、譴責処分後も右同様の非協力的態度を取り続けていた(〈証拠・人証略〉)。

(七) 被控訴人は、これ以上控訴人が在職していることは、小人数の職場である被控訴人事務局の他の職員に与える影響が大きすぎ、また外部に対する信用も失われ、ひいては会員の定着を阻害するなど被控訴人の存続にもかかわると考え、昭和五七年七月二〇日、三善会長、森本専務理事、田中事務局長が協議し、控訴人には、組織の紊乱中傷、経理の不正、疑惑行為、全職員の信用喪失、対外的な信用失墜、業務に対する非協力の解雇理由があるとして、これを解雇する方針を決定した(〈人証略〉)。

解雇に先立って、森本専務理事は、七月二一日控訴人に退職を勧告し、それに至る理由を一つ一つ述べたが、控訴人は「辞める理由はない。」と繰り返すだけで、退職勧告を拒否し、物別れに終わった。その後も森本専務理事だけでなく、田中事務局長、三善会長からも退職勧告が数回試みられたが、控訴人は一貫してこれに応じないという態度であった(〈人証略〉)。

控訴人は、右退職勧告後、口をきかない、電話が鳴っても受話器を取らない、新聞を広げこれを読んでいて仕事をしない、無断で外出するという態度が一層ひどくなった。森本専務理事は、同年九月二一日、控訴人に対し、最終的な退職勧告を行ったが、控訴人が取り合わなかったので、被控訴人は、同年一〇月七日控訴人を懲戒解雇に付した(〈証拠・人証略〉)。

2  右1認定の事実によれば、控訴人は、後輩の森本が事務局長に就任した後これに反発する態度を取り、また、従前から金銭上の不正、疑惑行為があり、遅刻が多いなど勤務態度も良くなかったが、大塚直治被控訴人理事会副会長の送別会等での言動についての注意を三善会長から受けた際、一旦はこれに従い生まれ変わった気持ちで業務に邁進する旨誓約しながら、その後間もなくこれに反発して会長を批判し、会員らの被控訴人に対する信頼を失わせ、更に、譴責処分を受けた後も、相変わらず三善会長を批判し、森本の悪口を言い回り会員の事務局に対する不信感を強め、勤務態度も改まらず、仕事について反対のための反対をするなどしてこれを阻害し、仕事上の指示にも従わず、会員会社に迷惑を及ぼす行為をし、金銭上の不正行為を行い、仕事に協力しない等の態度をとっていたものであり、これら前記1認定の控訴人の言動、態度は、被控訴人の就業規則五一条2(会の業務を進んで阻害するような意図のあることが事実によって明らかになったとき)、4(正当な理由がなく、しばしば遅刻、早引または私用外出をしたとき)、6(著しく自分の職責を怠り、確実に勤務しないとき)、7(職務上の指示に従わないとき)、11(会の秩序をみだすおそれのある流言ひ語を行なったとき)、12(みだりに会の職制を中傷またはひぼおし、あるいは職制に対し反抗したとき)、13(懲戒に処せられたにもかかわらず始末書を提出しないなど、懲戒に従う意思が全く認められないとき)の各号の懲戒事由に該当する。

そして、被控訴人の事務局が五名程度の小人数で組織されているものであり、控訴人は、もともと森本体制に反発し、金銭上の不正、疑惑行為があり、勤務態度も悪かったところ、譴責処分を受けた後も一向にその態度が改まらず、かえって悪化していたという前記認定のような事情のもとでは、控訴人の在職により被控訴人の業務に重大な支障が生じていたものというべきであり、被控訴人の内部秩序を維持し、事務局の正常な運営を図り、多数の会員の信頼をつなぎとめるためには、控訴人に対する懲戒処分として、懲戒解雇を選択することもやむを得ないものというべきであって、これをもって客観的合理性を欠き、社会通念上相当でないということはできない。

3  控訴人は、前記第二の二の1の(控訴人の主張の要旨)欄記載のように本件懲戒解雇は懲戒理由がないのに森本によってされた恣意的な処分であると主張するが、その理由のないことは右1、2で判断したところにより明らかである(右主張が懲戒権の濫用を主張する趣旨であるとしても理由がない。)。

二  争点2について

被控訴人の就業規則の規定上、懲戒処分の告知に当たり、被処分者に対し、懲戒理由に該当する事実を告げなければならない旨の定めはない(その旨を定めた他の規則も見当たらない。)。したがって、本件懲戒解雇に当たり懲戒解雇理由に該当する事実を告げなかったからといって、直ちに懲戒処分の手続に反し、無効であるということはできない。

もっとも、懲戒処分という事柄の性質上、処分に当たり、被処分者に対し、懲戒理由に該当する事実を告げるのが手続上妥当な措置であることは否定できない。ところで、本件懲戒解雇に際し控訴人に送付された解雇通知によれば、「就業規則第五一条四項による懲戒解雇とする」と記載されているだけで、懲戒解雇理由に該当する具体的事実の記載はない(〈証拠略〉)。しかしながら、前記一(争点1について)の1(七)認定のとおり、本件懲戒解雇に先立って、専務理事の森本は、昭和五七年七月二一日控訴人に退職を勧告し、その際、それに至る理由、経過を一つ一つ述べているのであるから、本件懲戒解雇に当たって、事前に口頭で懲戒解雇理由に該当する事実が控訴人に告げられていたものというべきであり、本件懲戒解雇の手続が妥当性を欠くということもできない。

三  争点3について

被控訴人の就業規則五三条ただし書の規定は、懲戒処分の事前手続を定めたものではなく、事後的な救済措置を定めたものと解される。したがって、右規定による措置要求に対する処理について手続的に違法又は妥当を欠く場合であっても、懲戒処分自体が正当と認められるときは、再度措置要求を申し立て又は右措置要求に対する手続において十分な事情の調査及び再審議が受けられなかったこと等により被った損害の賠償をもとめることができるかどうかは別として、懲戒処分自体の効力には影響しないものというべきである。したがって、控訴人の措置要求について、仮に専務理事の森本が十分に事情を調査せず、再審議を行わず、またその結果につき理由を説明しなかったとしても、前記のとおり、本件懲戒解雇が相当であると認められる以上、その効力には影響がないものというべきである。

のみならず、右措置要求について、どの程度の事情を調査し、どのような方法で再審議するかに関してはこれを定めた規定は見当たらないから、専務理事の裁量に任されているものと解されるところ、本件懲戒解雇の理由は、主として控訴人の日頃の言動、日常の勤務態度に基づくものであり、改めて新たな事実を調査するまでもなく、本件懲戒解雇を行うまでに既に判明している事実を再度検討するという方法による事情の調査をもって足り、また、再審議も、その事実に基づく懲戒理由該当性及び懲戒解雇を選択することの相当性を再検討することをもって足りるものと解され、その程度の事情の調査及び再審議が行われたことは被控訴人の「再審議結果の回答について」(〈証拠略〉)の記載(〈証拠略〉)からも窺われ、他に右の点に関し専務理事の森本において裁量を誤ったことを認めるに足りる証拠もない。また、その結果についての説明も、右「再審議結果の回答について」の記載(〈証拠略〉)のとおりであり、必ずしも十分なものとはいい難いが、前記一の1の(七)認定の本件懲戒解雇に至る経過に照らせば、右回答の記載をもって足りるものというべきである。したがって、控訴人主張のような就業規則五三条ただし書違反の問題も生じないものというべきである。

第四結論

そうすると、本件懲戒解雇は無効ということはできず、本件懲戒解雇の無効を前提とする控訴人の請求はすべて理由がないから、棄却を免れない。

よって、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 越山安久 裁判官 武田正彦 裁判官 桐ヶ谷敬三)

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